3月18日 〜 手術前日 〜 

手術日決定した日から、約3週間。膝の具合はというとじっとしていたら、なんとか大丈夫なんだけど、階段、坂道の下りはともかく、長い時間歩いていると膝が重たくなってきて、ひどい時には何回か膝崩れも起こり、時折激痛に見舞われることも。。寝る時には
寝る向きを選び、膝を伸ばすと痛いので、膝にタオルをはさんで寝ていた。起きる時も
痛いほうの足を伸ばしたまま起きるので、自分で起きられず、子供に手をひいてもらっていた。子供というものは、すごいもんで、いままで朝なかなか起きなかった子が、わたしが引っ張ってもらえないと起きれないとわかってから、わたしが起きる時間には必ずめをさまし、だまって手をひいてくれた。ほんとうにありがたかったし、そうやってくれる子供の成長がとてもまぶしかった。
入院日が決まってからは、あまり自分が入院するというのは、宣伝したくないが、春休み中ということもあり、子供のスケジュール、友達の連絡先、を事細かに書き、また近所や、子供を通しての友達などに、また連絡先などを伝えたりした。本当にこういうときこそ友達というものはありがたいもので、その友達通しで連絡を取り合ってくれて「じゃ、いついつはうちが預かるから」とみんなの方でスケジュールを立ててくれたりした。
仕事は、その前日(17日)でおわり、はじめてする少し高度な内容だったので、準備も大変だったがなんとか修了。それが終わるまでなんだか落ち着かず、前日になってやっと家をかたづけたり、入院の準備をしたりして、ばたばたとすごしていた。その日、友達の娘さん(メル友です)が、お昼をごちそうしてくれるというので、買い物をそそくさとすましてから、そのお家へお邪魔していた。帰ってから、多分父母の次に一番お世話になるであろう、お向かいのSさんに入院の挨拶もかねて、お茶でも誘おうかと、ピンポンした。ルスの様だった。「ま、あとからあらためていくか」そう、思い家に入り、入院の準備やらを続けていた。「ピンポーン!」うちのベルが鳴った。出ると、お向かいのSさんをはじめ、共通の友達がそこに並んでいた。「これ、餞別!」といって、なにやら大きい箱を私に手渡してくれた。こっちのほうが、お願いしないといけないのに、こんなものを用意してくれるなんて・・・。「頑張ってな」とSさん。「私ががんばってもしょうがないんやけどね・・・」
といいつつ、わたしの目の奥には突然洪水がおそってきそうなあついものがあった。
家の中は、とんでもなくちらかっていたけど「ま、じかんあるんやったらちょっと入って〜」とみんなを中へ引き入れた。「ともこちゃん、男部屋にいれられんようにな・・・」とか、いつものごとく、みんな機関銃のように好きなことをしゃべっていたが、それに反論する勢いは私にはなく、涙をこらえながらコーヒーを入れた。
餞別の中身は、入院中に大活躍しそうな、Tシャツ、トレーナー、ジャージだった。
特にジャージは、横がボタンで開くようになっており、膝を見せるのに重宝しそうだった。
「BOYSのLやで、LEDIESじゃないでー!」とまた叫んでいたが、わたしはまだ反論できず「ありがとう・・・」とつぶやくだけだった。