3月26日 〜外出〜 

最初は、上げ膳据え膳生活を満喫していたが(主婦は大体それだけで幸せなものである)、だんだんと自由に歩けるようになってきて、私の中のじっとしていられない症候群が発症してきた。友達には、「交通の便も悪いし、みんな忙しいから、お見舞いなんていいからね〜!」といったことを、後悔していた。暇は私にとって、地獄である。お見舞いといえば、お向かいのSさんが、一家でお見舞いにきてくれるという連絡をうけて、朝からわくわくしてまっていた。午後からくるという話だったので、できれば午前中にリハビリを済ませたかったが、タイミングの悪いことにその日午前中は呼ばれず、午後1番に呼ばれた。もし、この間にお見舞いに来てくれたら・・・と思い、ひきとめの置手紙をして、リハビリに行った。アイシング・CPM・筋トレと結構時間はかかる。筋トレをはじめようとしたら、中山先生が来て「子供さんがきているみたいですよ。今日はもういいです」といってくれた。「子供さん???」うちの子供さんは、来るはずが無かった。「あ、Sさん一家のことやったんや!」そう思って、あわてて病室に帰った。病室の私のサイドテーブルには私に退院後、家をかたずけろと言わんばかりの「収納名人」の本と、なにやらあやしげなマジックハンド(足の不自由な人用らしい)がおいてあった。帰っちゃったみたい。。。あわてて、携帯に電話したけど、携帯はつながらない。しばらくたって家の方に電話してみた。「いったけど、いなかったからしばらく待ってたけど、遅かったから頑張ってる姿でも見て帰ろうとリハビリ室にいったんよ。」・・・・ということらしい。とほほ、じーんときた。。「『でも、ともこちゃん(私のこと)とお話してない〜!』とちびサンたちがいうからまた、いくね。」とうれしいお言葉。「この次は、リハビリの時間ずらしてもらうから、絶対きてな!」と約束した。入院前の「交通の便が悪いから・・・」という言葉はどこへ???ほんとうに自分に正直なひとである。。(まるちゃん風)
手術後、1週間。小学校以来の友人2人が見舞いにきてくれるという。1人はバレーのメンバーで、その日は試合で報告がてら寄ってくれるという。もちろん遠慮なく「まってるぜ!」と答えた。多分その友人は車でくる。(そうや。車やったら外に出れるやん!)早速、八木先生から外出許可をゲット。どうせなら、子供にもあいたいな。と思い、実家に電話して夜、行ってもいいかとおばあちゃんに聞いた。すると、「そんな中途半端なことせんとじっとしとき!また、かえる時泣いたら困るし」ときっぱり断られた。帰るところがないってほんとに寂しい。
その友人が、3時ごろ迎えに来てくれた。そのまま車に乗り込み、出発。「どこ行く?」とNさん。「時間あるんやったら、ゆっくりできるとこいきたいな。病院以外で」というと「じゃあ、うちくる?ちびもおるし、そのほうがいいな。」とRさん。「うん、いくいく」決定!そこでいままでたまっていた分、機関銃のようにしゃべった。このNさんとRさん(ほんとうはもう1人いるのだが、遠方の為欠席が多い)ほんとにこのメンバーでいるとホッとする。なにか悩んでいるときはとりあえず、顔がみたくなるメンバーである。時間の経つのはあっという間、もう夕飯の時刻。「夕飯も一緒に食べよか?」とR。「わたしゃうれしいけど」「わたしも子供つれてくるわ」とN。Nの買出しにより久しぶりににぎやかなゆうげ。そんなひと時もあっという間に過ぎた。「消灯には帰らんとあかんよな。」といいつつ、時間は過ぎる。タクシーで帰ろうと思っていたのにNが送ってくれることに。送ってもらってる途中「まにあわへんかもよ。不良みたい。」と2人プラスNの子供とできゃあきゃあ騒ぎながら送ってもらった。本当に楽しいひと時だった。しかもお土産に神戸、明石地区ではこの時期かかせないいかなごのお土産もRからもらった。なんか実家に帰ったみたい。そんな気持ちいい気分だった。
しかし、しかし、R家にいた何時間の間、ずーっと座りっぱなしだったため、膝はパンパンに腫れていた。2人に心配かけまいと、特に言わなかったが、結構痛みもあった。
手術後、順調に痛みがとれてきていたのに、何日分か逆戻り。そんな感じだった。
病院に帰って、ジャージに着替え、ベッドにもぐって自分の膝をじーっと眺めながら、ほんのちょっとだけ反省した。・・・・・・ほんのちょっとだけね。
 次の日の朝、八木先生が来てくれて「外出してどうでしたか?大丈夫なら、順調そうですし、早めに退院されてもいいですよ。」この言葉、1日早ければ「じゃあ、お願いします」
と飛びついたであろう。しかし、昨日の膝の腫れ、痛みはまださすがに継続中。この状態ではちびさんのお世話は出来かねると判断。さすがの私も「(かくかくしかじか)こういう状態なんでやはり予定どおり2週間でお願いします」と。先生は「そうですか。いえ、私明日から学会でルスするので、早めに退院されるなら、いま手続きしようと思って。じゃあ、予定通りでいきましょう。」・・・・これが、入院中、八木先生との最後の会話になるなんてこの時は2人とも思っていなかったハズ。。。。