@靭帯を切ったときの様子

バスケットプレー中に、リバウンドをジャンプして取りに行った時に、片足(右)から着地した時に横から人が転がってきて接触。ボキッと内側に折れた感じ。みるみる足がパンパンに腫れてまったく歩けない状態になりました。

A手術の内容
(どこをどのくらい切ったか、どの腱を移植したか)
手術名:前十字靭帯再建・内側靭帯縫合・内側半月板縫合。
膝のお皿の下の筋(膝蓋腱)を1/3切り取って、移植する手術方法でした。
トップレベルの選手はこの方法が当時一番よいと説明を受けました。


B手術にいたるまでの経過
(どこで、診察を何回受けた、だれかかからどのような情報を得たなど)
 この時のケガの処置の仕方が非常にまずかったのが一番の悔やまれます。まず、腫れて動けなかった為に、自宅へつれて帰られて、少し動けるようになってから近くの整形外科に行く。単なる膝の捻挫ということで、湿布と痛み止めをもらいました。数日経っても、腫れが引かない為に、次にスポーツ整形のある近くの病院に行き、注射で血を抜きました。捻挫ではなく、靭帯損傷の疑いがあるといわれました。大きな病院に行った方がいいといわれ、高校時代にケガをしたら行っていたスポーツ整形のある総合病院で診察を受ける。初めて内視鏡検査を受けて、靭帯が切れている事が判明。スポーツ復帰をしたいということで、スポーツ選手の膝の靭帯再建手術をしてくれる有名な先生に来てもらいオペをしました。

C入院してから、退院までの簡単なスケジュール

1回目 手術が地震の前の年の11月30日あたりでした。
      靭帯再建術 A総合病院にて
リハビリを行うが、経過があまりよくなくで、30度〜90度ぐらいしか可動域がなく、足が全く伸びな
い状態が、2ヶ月続いた。
(2回目) 靭帯はしっかり着いていたが、癒着と可動域を広げるオペを予定していた
阪神大震災が起こり、負傷者が入院してくる。
強制退去させられそうになるが、自宅が全壊した為、病院に残してもらう。しかし、予定していたオペは無期限の延期に。
この間もリハビリは続くが、可動域は広がらなかった。Drからも、経過が悪い理由が明確に返ってこないため、悩み続けた。悩みすぎたので、胃潰瘍の手術まで行ってしまった。一番苦しい時期でした。
2回目 ようやく手術が出来るようになり、関節内の掃除を行う。再建した靭帯は、しっかり着いてきたので、強い負荷をかけて曲げ伸ばしする。以前より改善し、可動域は、20度〜100度に広がるが、ここからロックしたままになる。
3回目 さらに4ヵ月後の4月に下半身麻酔にて、内視鏡で再び関節内の掃除。
しかし、ほとんど可動域は広がらず。
4回目 再建術の執刀医の居る神戸大学付属病院に転院。
 黒坂先生、岩崎先生、八木先生に担当していただく。徹底的に膝の検査を受け、調査してから手術を受けることになりました。 
 術前の説明できっちりと手術の内容を説明してもらいました。先生からは、「本当に最善を尽くすが、どうしてもうまくいかなかったらその時は・・・。」と言われました。でもこれに賭けるしかないのでお願いしますと・・・・。
 手術の内容は、癒着が膝裏までにいたっている為に、お皿の両サイドと内側、外側靭帯部分の4箇所にメスをいれて、膝裏、膝前と癒着をはがす。それと、関節内で引っかかっている部分を一部削り取るということでした。オペを行う。その手術をしている時には、足はほぼまっすぐになり、曲がりもかなり曲がったそうです。
 オペ後、次の日から強制的に膝の曲げ伸ばしをする為に、背中からゴム製の点滴針をさして麻酔をいつでも入れられるようにしてました。。リハビリが始まる30分前に、軽い麻酔液を点滴して、痛みを感じなくしてから、機械で曲げ伸ばしをしました。徐々に可動域が広がっていき、伸びは5度くらいまで行き、曲げは、かかとからお尻まで握りこぶし2個分ぐらいまでは行くようになってきました。
 4回目のオペから約1ヶ月程のリハビリで、0度〜お尻まで握りこぶし1個分となる。
 可動域はほぼクリアした為に、筋肉を少しづつ付けていく段階になり、ようやく8ヶ月の入院生活から脱出しました。
 曲がるようにはなりましたが、右の足の筋肉はかなり落ちて、ここから筋肉を上げていくのに非常に苦労しました。



Dリハビリの経緯

(特にどれくらいで、どの程度の運動ができるようになったか)

まずは、仕事に復帰したかったので、普通の二との筋力まで、上げることを目標に始めました。

         今の膝の筋力→普通の人の筋力→競技レベルの筋力→復帰

約2ヶ月 最初はレッグカールとレッグエクステンションが膝の中が痛む為、なかなか負荷が上げられなかった。とにかく自宅周りを歩くことと、自転車(バイク)を使って、膝の動きをスムーズにすることを中心に始めていった。
3ヶ月くらい
(ランニング開始
リハビリの先生から軽いジョギングがOKになり、自宅周りでやろうとするが、膝の中の激痛の為、全く走れなかった。仕方なく自転車で近所を1時間くらいぐるぐる回るということをしばらくしていた。痛みがあるが走らないと次に進まないので、とにかくゆっくり走った。
1分走る事ができたら、次は3分走るという風に少しずつ増やしていった。
ようやく10分くらいゆっくりであるが、走れるようになるが、足の踏む感覚が思った以上に無くなっているのがわかる。(8ヶ月入院の為?)ダッシュ系は全く出来なかった。
退院後1年 ランニング、ダッシュ、サイドステップ、フットワークがほぼ7割〜8割出来るようになったのは、約1年後、よくここまで出来たなあと自分でも思った。痛みもほぼ無くなり、ようやくバスケットに戻ろうかという気持ちになった。
1年2,3ヶ月
軽い練習開始)
筋力は80%以上になっていたので、バスケットに復帰する徐々にレベルの低い、軽い、練習から混ざるようになっていた。しかし、心理的にジャンプして着地、身体接触やインサイドの密集地帯に飛び込んでいくプレイは心理的に恐怖感はかなりあった。
約2年 徐々に実践形式の練習に混ざっていくが、スピードやジャンプ力が以前に比べ落ちていることと、急に方向転換されると、全くついて行けないのには悩まされた。実戦形式の練習のスピードに追いつくのに、半年ほどかかった。以前の1対1を積極的に仕掛けていくプレイスタイルから、周りを使う司令塔としてのプレイスタイルとなる。
約2年半
完全復帰
ようやく公式戦に復帰。

E使用した装具など
基本的にサポーター無しで、プレイ出来るようにしたかった為に、トレーニングのときは一切付けませんでした。なしで、バスケットの練習の時は最初の1年間だけ、ミディアムクラスのサポート力のあるサポーターを予防でつけていました。約1年したら、全くサポーター無しで、プレイするようになりました。

F今の状態、心がけていることなど
・まず、練習した後は、冷水でアイシングすること。
・膝の調子が悪い時は、無理せず練習を休む。
・下半身の筋力トレーニング、走りこみは欠かさない。(週2〜3回)

Gこれから、治療を受ける人へアドバイス。
この手術にいたるまでに、たくさんのDr.に膝のテスト(マクマレイテストや、前方引き出しテストなど)をしてもらいましたが、やはりレベルがかなり差があるんだなと実感しました。膝の触り方ひとつでも慣れているDr.か、ほとんど触ったことの無いDr.かがわかりました。
ですから、まず膝専門のDr.の診察を受けるという事。これが一番大切だと思います。もし手術を受けるなら納得のいく説明や、手術の仕方を聞くということ。
スポーツの競技レベルで、復帰されたい方は、やはりスポーツ選手を数多く、手術している医者にかかるのが一番だと思います。それから、どのレベルに復帰をしたいのかをはっきりと目標にもっておくのがいいと思います。私の周りでも前十字の手術をした人を追跡調査していくと、結局復帰していない人もいたりします。

H治療に対する要望
当たり前の事ですが、こういう手術をします。長所はこれで、短所はこれです。という説明が、きちっとしてもらえると良い。リハビリの中での疑問点や、痛みなどへの質問にもはっきりとこういう可能性があるといってもらう方が、気持ち的にも落ち着く。

Iその他ご意見
怪我をした時のRICE処置。スポーツ整形がある病院などを知識として、持っているということは、本当に大事なことだと思いました。現在はケガの予防の為に、トレーナーの講習会等に行き、テーピング、RICE処置、ケガからのコンディションニングトレーニングなども勉強中です。チームの中に1人でもその知識を持っている方がいると心強いのではないでしょうか?
 もし、靭帯の手術を受ける時は、周りに経験者がいたら、必ずアドバイスを受けるとよいと思います。
 私の場合は、まれに見る最悪のパターンです。まずこんなことになるのはありませんから。ただ焦らず、地道にリハビリをしていくのは手術する誰もが通る道です。それが予定通りいくかどうかは自分の復帰したいという気持ちの強さが大切だと思います。復帰するのを夢見て、コツコツ頑張りましょう!!

CASE 2  (右膝ACL断裂時(7年前)